DV新幹線

終わりの見えない旅路

弘前行きの新幹線は、静かに雪景色の中を走っていた。冷たい冬の風が車窓を叩き、外の世界は灰色に覆われていた。舞は窓の外をぼんやりと見つめ、考えを巡らせていた。目的地は弘前。だが、その先には何があるのか、彼女にはまったくわからなかった。まるでこの新幹線が、どこへ向かうのかもわからず、ただ走り続けるかのように思えた。

舞がこの新幹線に飛び乗ったのは、半ば衝動的な決断だった。昨日の夜、彼氏の拓也から受けた暴力が、まだ身体に痛みとして残っていた。リビングでの激しい言い争いの後、拓也は手を上げた。それは初めてではなかったが、今回は特に酷かった。彼の怒りは抑えられず、彼女は無力だった。舞はその場から逃げ出すしかなかった。裸足で玄関を飛び出し、手に持っていたのは携帯と財布だけ。彼女は何も考えず、ただ駅に向かい、最初に来た新幹線に乗り込んだ。

車内は温かく、外の寒さとは対照的だったが、舞の心は寒々しいままだった。彼女は今後どうすればいいのか、何一つ決まっていない。ただ、逃げるしかなかった。それ以外の選択肢がなかった。

「どうしてこんなことになってしまったんだろう…」舞は思った。拓也と出会った当初は、彼は優しかった。仕事も安定していて、自分を大切にしてくれる人だと思っていた。しかし、少しずつ彼の態度は変わり始めた。彼は嫉妬深くなり、舞が他の男性と話すだけで怒るようになった。次第に、友人との付き合いも制限され、彼女の自由は徐々に奪われていった。それでも、拓也の愛情を信じたかったし、彼の「君のためだ」という言葉に何度も納得しようとした。しかし、暴力が始まった時、全てが崩れ去った。

彼女が幼い頃のことを思い出す。舞は孤児だった。両親を交通事故で亡くし、祖母に引き取られた。しかし、祖母も彼女が高校を卒業する前に亡くなり、それ以来、彼女は一人で生きてきた。親がいないという孤独感は常に彼女の心に影を落としていた。だからこそ、拓也のような人に依存してしまったのかもしれない。彼の存在が、自分の孤独を埋めてくれるように感じたからだ。

新幹線がスピードを上げるたびに、舞の心はますます不安定になっていく。このまま弘前に着いても、何が待っているのか全くわからない。行く当てもなく、知り合いもいない。けれど、今は逃げるしかない。拓也から、そして彼が象徴するすべてから。

ふと、隣の席に座る中年の女性が舞に話しかけてきた。「大丈夫?元気がなさそうに見えるけど。」

舞は一瞬驚いたが、すぐに笑顔を作って答えた。「ええ、大丈夫です。ちょっと考え事をしていただけです。」

女性は微笑み、何も言わずに視線を外した。その小さなやり取りですら、舞には重荷に感じられた。なぜなら、自分が本当は大丈夫ではないことを痛感したからだ。心の中では叫びたい気持ちだった。「助けて」と。

新幹線は、次第に弘前に近づいていく。舞は、スマートフォンを取り出し、手が震えながらも拓也からのメッセージを見た。何十件ものメッセージが、彼女の画面を埋め尽くしていた。最初は謝罪の言葉が並んでいた。「ごめん、もう二度としない。お願いだから戻ってきてくれ。」しかし、その後のメッセージは次第に苛立ちと怒りに変わっていた。「どこにいる?帰ってこないなら分かってるよな。」

舞は画面を閉じ、深く息を吸った。このままでは、いつか彼に戻ってしまうかもしれない。彼の言葉に騙され、また同じ苦しみを味わうかもしれない。その考えが、彼女の心に重くのしかかる。

「私は一人じゃない。強くならなきゃ。」舞は自分に言い聞かせた。彼女はこれまでにもたくさんの困難を乗り越えてきた。孤児として育ち、孤独と戦いながら生きてきた。だから、今回も逃げるだけではなく、何かを変えるために立ち上がるべきだと感じ始めていた。

新幹線は、弘前駅に到着するアナウンスを流し始めた。舞は静かに立ち上がり、荷物を手に取った。プラットホームに降り立つと、冷たい風が彼女の頬を打った。その寒さが、彼女の目を覚まさせたかのようだった。

「ここから、私は自分の人生を取り戻すんだ。」

舞は一歩踏み出し、新たな一日を迎える覚悟を決めた。まだ未来は見えない。けれど、彼女にはこれまでとは違う決意があった。自分の人生を取り戻し、拓也に支配されない、自分の力で生きる決心だ。

弘前の街並みは雪に覆われ、静かに佇んでいた。舞はその風景に、何かしらの安らぎを感じた。この地には何もないが、それが彼女にとっての救いでもあった。何もないところから、何かを始める。それは怖いことではなく、むしろ新たな可能性を秘めているのだと感じた。

これから何をするかは決まっていない。だが、舞にはこれまでの経験から学んだことがあった。それは、自分を信じて前に進むことの大切さだ。どんなに困難な状況でも、諦めなければ道は開ける。彼女はこれまで何度もそうしてきた。

夜が明けると、雪は一層深くなり、街はさらに静かになっていた。舞は街の中心に向かって歩き始めた。新しい仕事を見つけ、新しい生活を始めるために。彼女には何も失うものはなかった。

そして、拓也からの最後のメッセージを思い出した。「戻ってきてくれ。」その言葉が、彼女の心に一瞬よぎったが、すぐに消え去った。戻る必要はない。彼女にはもう、戻る場所など存在しないのだから。

舞は、空を見上げた。灰色の空の向こうには、いつか晴れる日が来るはずだ。彼女はその日を信じ、今はただ前を見て歩き続ける。

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