世界の車両はどちら側を走る?

「世界の車はどちら側を走るのか?」という問いには、国や地域によって異なる答えが存在します。大まかに分けると、右側通行の国と左側通行の国があります。それぞれの通行ルールは、地理的要因、歴史的背景、そして文化的・経済的な理由から異なっていることが多いです。世界各国の通行方法、その起源、そしてどのようにしてそれが決まったのかを深く掘り下げていきます。

1. 世界の通行区分の概要

まず、世界全体を見渡してみると、約65%の国が右側通行、約35%の国が左側通行を採用しています。地理的に見ても、右側通行の国々はヨーロッパやアメリカ大陸を中心に広がっており、左側通行の国々は主にイギリスやその元植民地で多く見られます。

右側通行の国々

右側通行の国は世界の中で多数派です。主にヨーロッパ大陸、アメリカ大陸、そしてアジアの一部に見られます。例えば、アメリカ合衆国、カナダ、フランス、ドイツ、中国などが右側通行を採用しています。これらの国では、車両が道路の右側を走行し、左折をする際には対向車線を横断する形になります。

左側通行の国々

一方、左側通行の国は少数派ですが、人口の多い国や影響力のある国が含まれています。代表的な例として、イギリス、インド、オーストラリア、日本などが挙げられます。これらの国では、車両は道路の左側を走行し、右折する際に対向車線を横断する形になります。

2. 左側通行と右側通行の歴史的背景

左側通行の起源

左側通行の歴史は非常に古く、紀元前にまで遡ります。特に、剣を使った戦闘や馬車の使用が一般的だった時代には、右手で剣を扱いやすいように左側を通行する方が安全だったため、左側通行が普及していました。古代ローマの時代から、左側通行は広く採用されていたことが知られています。多くのローマの遺跡には、馬車や歩行者が左側を通行するための構造が確認されています。

中世ヨーロッパにおいても、馬に乗った騎士や武士が剣を右手で振るうことが多く、敵に対する防御を考えると左側通行が理にかなっていました。したがって、古くから続く国々、特にイギリスや日本などでは左側通行が一般的に根付いたのです。

右側通行への移行

一方で、右側通行が広まったのは、フランス革命やナポレオン戦争の影響が大きいとされています。フランス革命時代には、特権階級が左側を通行し、一般の市民が右側を歩いていたという記録があります。ナポレオンが台頭すると、彼は軍隊や馬車を右側通行に統一し、その影響力を背景にフランス支配下の国々にも右側通行が広がっていきました。

また、アメリカ合衆国では、独立後に右側通行が導入されました。当初はイギリスの影響で左側通行だった地域もありましたが、特に馬車の交通が増加するにつれ、利便性を考慮して右側通行へと転換しました。これは、馬車を操縦する際に鞭を右手で使いやすいようにするためだったとされています。

3. 通行方式が変わることによる影響

国や地域が右側通行から左側通行、またはその逆に変更することは、交通システム全体に大きな影響を与えます。この変更は「通行方式の転換」と呼ばれ、歴史的にもいくつかの国で行われてきました。たとえば、スウェーデンでは、1967年に左側通行から右側通行へと切り替わりました。これは「Dagen H(Hの日)」と呼ばれ、国を挙げて大規模な転換プロジェクトが行われました。この日は、全国の道路標識や信号機が一夜にして改修され、また、ドライバーには新しい通行方式に慣れるためのキャンペーンが実施されました。

また、日本では沖縄が1972年に一斉に右側通行から現在の左側通行に変わりました。第二次世界大戦後にアメリカGHQの統治下に置かれていたため右側通行となっていました。

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