19世紀半ばから20世紀末の冷戦終結前後までアジア政治史について、どのように時代区分ができるか。またそれぞれの時代の特徴は何か。それぞれの時代が始まりと終わり、時代の特徴について記述する。
19世紀半ばから20世紀末の冷戦終結前後までアジア政治史を以下の4つに分ける。
列強諸国のアジアへの進出 19世紀半ば~
この時代は列強諸国がアジアへ植民地を求めての進出であり、始まりと言えるのはアヘン戦争である。清はイギリスに敗れ、1842年にイギリスとの間で不平等条約と言える南京条約を結ぶ。日本でも1853年にアメリカ合衆国艦隊が開国を求めて来航し、日米和親条約を結び、1858年日米修好通商条約が結ばれ、その後日本は鎖国が解かれている。これらは東アジア秩序の変容と主権国家体制の需要を急がせた。
アジアの近代化 19世紀後半~
日本では明治維新が起こり、西欧諸国の文明を取り入れた。1871 年には日清修好条規を結んだ。朝鮮半島をめぐっても、1894年に日清戦争が始まる。敗れた清は朝鮮の独立を認め、多額の賠償金を支払うことが定められた。日本はその賠償金で産業革命を推し進め列強への仲間入りを目指ざすことになる。北京条約後、列国との差を目の当たりにし「洋務運動」が始まり、日清戦争後には、その動きがさらに加速した。中国は1911 年これまで長年続いた清王朝が辛亥革命により倒れたが、大きな社会変革は伴わなかった[1]。
帝国主義と世界戦争への道のり 20世紀初頭~
1914年に第一次世界大戦が勃発した。この機に乗じて、大日本帝国は極東地域のドイツ租界や島嶼地域を占領した。また、日本は中華民国に対華21ヶ条要求を行った。中国では1919年のヴェルサイユ条約に反対するデモ・暴動として五四運動が起こった。軍国主義は1945年の第2次世界大戦の日本敗戦まで続くこととなった。
国際化と世界協調 20世紀半ば~
1945年に国際連合が設立された。第2次世界大戦を止められなかった教訓からである。憲章第1章第2条で国際関係における武力行使を原則として禁止し、この規範は大戦後の世界平和における基軸となった。中国では経済と政治システムの近代化、この二つが「中国近代史の主題」となった。中国共産党に主導権が移り、1949 年の新中国(中華人民共和国)の建国に結びついていくことになる[2]。日本は戦前の失敗から学び、日本国憲法による平和・法の支配・自由民主主義・人権尊重、自由貿易体制、民族自決、途上国の経済発展への支援といった近代の普遍的な諸原則の上に立ち、戦後構築された国際的な政治経済システムの中で、経済復興と繁栄の道を歩んだ[3]。
参考文献
[1]竹下 關西大學經済論集 東アジアの地域秩序と社会経済システム ― 中華文明の観点から ―2018
[2]竹下 關西大學經済論集 東アジアの地域秩序と社会経済システム ― 中華文明の観点から ―2018
[3]20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と 日本の役割を構想するための有識者懇談会
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