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筆者、藤本氏は本書の中で例を交えながら、良い行いも悪い行いもどちらも自分に返ってくると繰り返し述べている。『功徳は自分の心に生まれる。廻向される功徳が物質とちがって心のエネルギーだから、話が見えにくくなっているだけです。因果法則に例外はありません。すべて、厳密に、自業自得です。(p.497)1』筆者は私たちは言葉、行動、もの、様々な動きで自らのエネルギーを誰かに与えている。これは、釈迦が例外なしと看破した因果法則であると言う。功徳は良い行いを行うと生まれるエネルギーであり、すぐに結果を出してくれるものではない。そして、このエネルギーは「カルマ」と呼び、自分の心に刻まれる。このカルマは他者の幸せを願う心は自分の心に功徳を生む。また、カルマは誰か与えたい特定の人に与えられるものではない。廻り巡って自分に返ってくる。どこで行った行為が返ってきたのかは誰にもわからない。
また、筆者は『自分も他人も、善行為や善い心の共有によって、得(徳)がますます増えるのです。…やっている行為自体が善行為なら、堂々と乗っかって、「すばらしい。よくやりました」と誉めて、いっしょに喜べばいいのです。他人の善行為を喜んだわたしの心にも、功徳がしっかり生まれます。1(一部抜粋)』と述べている。善い行いは一人で行うものではなく、出来るだけ多くの人と一緒に行うことで、行為者と同じ功徳を手に入れられると言う。
『たまには悪意のある餓鬼・霊もいるかもしれませんが、人間のような身体もありませんし、なにも悪さはできませんから、放っておくか、「(霊も含めて)みんなが幸せでありますように」と、わたしたちだけはいつも廻向する心、慈しみの心でいればいいのです。12』霊が出てくるときの例を用いて、どんなときも廻向する心を持つことが重要だと述べている。
参考文献
- 藤本晃 仏教の正しい先祖供養功徳はなぜ廻向できるの?(サンガ出版)2008年10月
- 日本仏教学会・編「パーリ四ニカーヤに説かれる先祖・施餓鬼供養」『家族のあり方と仏教』(平楽寺書店)、2004
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