世界の宗教の特徴とは?

<script async src=”https://pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js?client=ca-pub-8984570867040715″
crossorigin=”anonymous”></script>

 世界の宗教にはキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、ユダヤ教などがある。世界の人口の約77%がこの世界5大宗教のいずれかを信仰している1)。その他、内訳としてはキリスト教が33%、次にイスラム教で20%、ヒンズー教は13%、仏教が6%、その他合わせて28%となる2)。例として日本では7割の人が無宗教・無信仰を自認していると言われる。生まれてから死ぬまでに成長の節目に合わせて通過儀礼を行う。結婚までは神のいる神社でお宮参り、結婚式は神前・仏前・キリスト教式、お葬式でも神前・仏前・キリスト教式・友人葬となにかしらの宗教と繋がりがある3)と言える。以下に宗教の理解のためキリスト教、イスラム教、仏教についてまとめ、中でも私たち日本人になじみ深い先祖供養についても述べる。

キリスト教の考え方

 世界で最も信仰する人口が多いキリスト教では、人間を造ったのは神であり、神である私を信じなさいという考えを持つ。イエスを救世主と受け入れ、死後この世が終わるときの審判で神の国へ入れてもらえる。現世では、自分の限られた人生を大切にし、神の使命を探りつつ、自己の能力を生かし、親、親族、友人を愛し、幸福な時間で満たして生きること。死後の世界では、天国で栄光の姿に変えられ、涙も憂いもない、真の愛と幸福に満たされ、この世でいったん別れた人たちと再会し、永遠に生きることとなる4)。これがキリスト教の基本的な考え方である。

仏教の考え方

 また、仏教は「解脱」して「涅槃」に入ることを目指した教えである。何からの解脱(解放)かといえば、「輪廻」からの解脱である。輪廻説によると、世界は限りない大昔から存在していたとされている。たとえば『法華経』によると、シャカは人間界に初めて現れた仏ではなく、第七番目の仏とされている。仏教の求めたものは輪廻の生存からの脱却であり、シャカは「もはや生まれ変わらない者」になったと信じられている。仏教では、執着心・欲望・煩悩という”紐”を断ち切れば、生死輪廻の世界から解脱して、いわゆる「涅槃」に入れると説く。「涅槃」とは、解脱した状態である5)。これは己の内にある仏を修行により引き出しなさいという考え方である。「涅槃」は二つの解釈があるという。一つは、喜びも悲しみもない絶対的静寂(絶対の無の状態)という解釈。二つ目の解釈として、輪廻の生存の外側へ脱することなのだから、通常の”有無”の次元で「涅槃に入った人は存在するか、しないか」などと問うことはできないとしている。「涅槃」とは、輪廻から脱して、生命に関するすべての事柄が絶やされてしまった状態。しかし、涅槃に「何もない」では味気ないということで、後世になると涅槃には喜びがあるという解釈も生まれている。

イスラム教の考え方

 イスラム教は、唯一絶対の神アッラーを信仰し、神が最後の預言者を通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。特徴として偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじる。信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色があるとされる。アッラーとは、もともとアラビアの多神教の神々の中の一柱であったが、ムハンマドがメッカを占領した際、カーバ神殿に存在した全ての神々の像を破壊し、多神教及び偶像崇拝を戒め、アッラーのみを崇拝するようになった。クルアーンは神がムハンマドを通じて、アラブ人にアラビア語で伝えた神の言葉そのものであるとされ、聖典としての内容、意味も、言葉そのものも全てが神に由来する。クルアーンを記した文字や本、クルアーンを人間が読誦したときにあらわれる音は、被造物である人間があらわしているので被造物の一部であるが、その本質である言葉そのものは、本来被造物の世界に存在しない神の言葉である。

仏教の正しい先祖供養 功徳はなぜ廻向できるのか?

 筆者は良い行いも悪い行いもどちらも自分に返ってくると繰り返し述べている。『功徳は自分の心に生まれる。廻向される功徳が物質とちがって心のエネルギーだから、話が見えにくくなっているだけです。因果法則に例外はありません。すべて、厳密に、自業自得です。6)』私たちの言葉、行動、もの、様々な動きで自らのエネルギーを誰かに与えている。これは、釈迦が例外なしと看破した因果法則であると言う。功徳は良い行いを行うと生まれるエネルギーであり、すぐに結果を出してくれるものではない。そして、このエネルギーは「カルマ」と呼び、自分の心に刻まれる。このカルマは他者の幸せを願う心は自分の心に功徳を生む。また、カルマは誰か与えたい特定の人に与えられるものではない。廻り巡って自分に返ってくる。どこで行った行為が返ってきたのかは誰にもわからない7)。霊が出てくるときの例を用いて、どんなときも廻向する心を持つことが重要だと考えられる。

参考文献

1) 中村圭志図解世界5大宗教全史

2) ブリタニカ国際年鑑 2004

3はじめて学ぶ宗教 –自分で考えたい人のために 岡田、小澤

4)聖書創世記 新改訳2017 1章26節

5)キリスト教読み物サイトhttp://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/bukkyokirisuto04.htm 2021.05

6) 仏教の正しい先祖供養功徳はなぜ廻向できるの? サンガ出版 2008 p.497

7)パーリ四ニカーヤに説かれる先祖・施餓鬼供養『家族のあり方と仏教』日本仏教学会編(平楽寺書店)2004

Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です