20世紀の日本史

20世紀の世界史を眺めてみると、二つの世界大戦の惨禍が人々の生活を大きく揺り動かしたことは疑いを容れないだろう。同時にそれぞれの大戦の後、「国際連盟」と「国際連合」という新たな国際組織を作り出す試みがなされたが、これら戦後国際秩序の形成には、当時の国際情勢が絡んだ課題も存在していた。以下、国際連盟と国際連合それぞれの創設過程・目的や課題について説明、第一次世界大戦から第二次世界大戦後における国際秩序形成の流れについて叙述する。

1899年、危機を平和的に解決し、戦争を防止し、かつ戦争の規則を法典化する目的で最初の国際平和会議がオランダのハーグで開かれた。会議は「国際紛争の平和的処理に関する条約」を採択し、常設仲裁裁判所を設置した。裁判所の作業は1902年に始まった。続いて1919年、ベルサイユ条約のもとに国際連盟が設立された。この機関は第一次世界大戦の最中に構想され、「国際協力を促進し、平和安寧を完成する」ことを目的としていた。国際連盟は第二次世界大戦の防止に失敗し、その活動を停止したものの、国際協力と対話を通して紛争を平和的に解決する必要は次第に高まっていった1。

国際連盟は地域紛争の解決などに一定の成果をあげていたが、主に3つの点で失敗だったとされている。一つはアメリカをはじめとした有力国の不在である。敗戦国だったドイツは1926年に加盟したが、1933年に脱退。また、1917年に誕生したばかりのソ連は1934年に加盟するが、1939年に除名される。ソ連は侵攻をはじめたことにより、国際社会からも非難を浴びる中でフィンランドは国際連盟にソ連を侵略国として提訴し、国際連盟はソ連を侵略国として除名処分している。当時のソ連はフィンランドに領土の租借などを要求し、フィンランドは拒否し、ソ連が侵略する形で戦争が始まり、結果的にこの戦争でフィンランドは数倍の大群のロシアを撃退することに成功している。常任理事国だった日本とイタリアも1930年代に脱退した。そして、国際連盟が全会一致の法則を採っていたことも、失敗の一つとされている。一国でも反対すれば重要な事項であっても何も決められず、迅速に有効な対応が取れなかった。さらに、国際連盟は軍事力が行使できず、有効な制裁手段がなかったことも大きな失敗であったとされている。

国際連合は中国、フランス、ソビエト連邦、イギリス、アメリカおよびその他の署名国の過半数が批准したことを受けて1945年10月24日に正式に設立された。本部はニューヨークに置かれることになった。第二次世界大戦が引き起こした鋭い対立や多くの審議の対象となったその後の冷戦によって世界が二分化されたにもかかわらず、国連は今後も成長を続ける。今や世界では対立がより複雑になり、グローバルなテロリズムのような新たな脅威が出現してきた。こうした問題に取り組むための世界的な交渉の場がこれまで以上に必要となった。こうした状況のもとにあってはこの誓約は今まで以上に今日的な意義を持つようになった1。

国際連合憲章第一章第一条には、国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為、その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること、並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現することと明記されている。第二次世界大戦を防ぐことができなかった教訓から国際平和と安全をはじめに謳っている。

1.国際連合広報センターwebサイト

https://www.unic.or.jp/info/un

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