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正徳の治は江戸中期、六代将軍徳川家宣・七代同家継の頃(宝永~正徳期) の質素倹約を主とした幕府政治である。側用人間部詮房・儒学者新井白石らが主導した。中でも注目したいのが物価を抑えようと通貨制度の立て直しを図ったことである。結果として、元禄小判と正徳小判の両方が混在して流通し混乱政策としては失敗として伝えられている。
この制度が失策となったのは、そのときの民衆の考え方が小判の価値を信用していないことを理解していなかったことが原因であり、元禄小判の流通を止め正徳小判を流通させていれば、物価の上昇が抑えられ改革は成功していたかもしれない。当時、慶長金の金の含有量が約86%、元禄金は約52%、正徳金は慶長金と同水準の84.3%に含有率を上げた。この策を考えた荻原重秀は、流通する貨幣が物々交換の考えに基づいて用いられている社会において、公儀権力の発行した貨幣はお金として通用するという現代の信用貨幣の考え方をすでに持っていた。民衆の動きを理解していればうまくいっていた可能性がある。結局、貨幣改鋳は失敗に終わり、経済が混乱するという結果となった。
参考文献
[1]日本史広辞典編集委員会編『日本史広辞典』(山川出版社、1997)抜粋
[2]笹山晴生ほか編『聞く教科書 山川詳説日本史』 (山川出版社、2013)
[3]山本博文監修・かのえゆうし作画『角川まんが学習シリーズ 日本の歴史 10 花咲く町人文化 江戸時代中期』(KADOKAWA、2015)
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