食品の色彩と形態は心理にどう影響するか?

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要約

 食品の色彩は人の心理作用が働く。実験現象学的に体験事実ということからも各個人的で異なる。人々が太陽の下で生活した歴史的な長さに依存し経験が増大するにつれて淡い弱い色彩効果が求められるようになるといった色彩嗜好の教養説が次のようにいわれている。人間が知能的に情緒的に精神的により高まるにつれて、スペクトル色の順序で赤色から離れて橙色、黄色、緑色、青色、紫色へと長波長色彩から、短波長の色彩へと嗜好が移っていく。子供たちは色彩の明度が高い色彩を好む。反対に円熟し、高度に教育されるほど自然に落着いた色彩あるいは灰色がかった色彩を好むようになる。また、人々はある一定の色彩イメージが慣習は一般に意味をもった物体または成分を連想させる。色彩による後光効果は場合により、菓子の包装や模様、色彩が気に要らないとその味覚まで低く評価することがあると言う。

 色彩は重量感へも影響を及ぼす。そのものが軽かったり、重かったりするのではない。ある色は軽い感じがするが、ある色は重い感じがするといった印象の問題である。色彩の明度に関係し、明るい色ほど軽く、暗い色ほど重く感じられる。黒が重く感じられ、明るい緑は軽く感じられる色とされる。色彩の演出について色彩についての問題や特徴をつかみ、総合的に演出することによって一属の色彩効果を上げることができる。その色が華美にならず目立つように使われていることで効果が上がる。

 食品の形態についても色彩同様に伝承的、慣習的な面からの影響力として、子供の時に印象づけられたものは、大人になってもそのイメージが心の深層にあってそれが影響していることが多くある。このような年中行事のいろいろな食品には、多かれ少なかれ伝承的に受け継がれた形があり、この形は固定化していると言える。

はじめに

 食品には様々な形態があり、自然そのものの形や摂取しやすいように加工された食品が存在する。その色には自然そのものの色と、着色料などで加工されたものとがある。これらの要素は有機的に結びついて、深いつながりを持っている。形は良いが色がわるい。色はよいが形が悪いのでは困るのである。このような知覚の問題は、ほとんどの人に似通っており、かなりの程度まで感覚器管と神経系によって決定されていると言われている。

 人々は子供の時に対象と、事象とを明確に、正確に知覚する能力を獲得し、それらを社会的に認められた命名法にしたがって分類し、同様な方法でそれらに反応する。同様にしてこれらの対象の空間的、時間的関係についても学習させられる。このようにして知覚経験のほとんどは、すべての人に共通するようであり、そして実際の市場にも接している。このようなことから、どんな色や形が一番であるかといったことは現実の状況から判断をくだすことが一番安易な方法であると同時に妥当性を有する方法と考えられる。それはある条件を設定し、ある環境を仮定してみないとその心理効果が測定できないという困難があるためである。 これらの具体的な問題として多くの学者の学説や報告など多く見られるが色彩問題については、チェスキンCheskinや特にビレンBirren が生理的な実験に人間や動物を使い、色彩光線を変えて食欲との関係を研究している。

 例えば、Cheskinは三種類の容器に入った中性洗剤があり、それぞれの容器は、黄色・青・黄を散らした青とし、主婦たちにこれらの洗剤を一定期間使ってもらい、汚れの落ち方を試してもらう実験であった。すると、主婦たちの出した結論は、黄色い容器の洗剤は「汚れはよく落ち、手が荒れて困る」、青い容器の洗剤は「洗った後サッパリはしていてよいが、汚れが落ちにくい」。最も好評だったのは、黄を散らした青容器の洗剤で、「洗い上がりも素晴らしく、手も荒れない」という結果であった。実際はこれらの洗剤の中身は全て同じであった。色彩が人の心理に与える影響を報告している。Birrenは赤、オレンジ、黄、黄緑、緑、青、紫の7色について、食欲増進と減退の程度を調査し、オレンジ、赤、黄の順に食欲増進に黄緑、紫は減退の方向に影響することを報告している。また、人々はある一定の色彩イメージが慣習となっているという。個人的嗜好の選択色はすべて同じ色彩が好まれていると いうのである。日頃なじんでいる物の色が、かけ離れた色彩であった場合、やはり大部分の 人は注目しない。例えば、無着色の白いチーズよりも、クリーム色に着色したチーズがチーズらしいとそれを好む場合が多い。白い豆腐を緑色にしてもリンゴを紫色にしても、現在のところわれわれの情緒的反応を喚起するとは思われない。やはりなすは紫色であり、きゅうりは緑色、トマトは赤色でないと馴染めない 。

食品の色彩についての心理作用

 季節、風土、地域、民族、慣習、教養など多くの要素が組み重なり、色彩に対する反応は 実験現象学的に体験事実ということからも各個人的で異なる。まず、季節という問題点から考えた場合、季節に合った色彩としては、冬には赤と黒の色彩、春にはピンクと黒の色彩、夏には黄と青の色彩、秋には橙と茶の色彩があげられている。こういった季節に適合した色彩というものは太陽との関係(温度、光度)から長い慣習の所産として、われわれはあたり前のように受け入れているが、これは人々が太陽の下で生活した歴史的な長さに依存しているためである。さらに色彩に対して、経験が増大するにつれて淡い弱い色彩効果が求められるようになるといった色彩嗜好の教養説が次のようにいわれている。

  • 人間が知能的に情緒的に精神的により高まるにつれて、スペクトル色の順序で長波長色彩から、短波長の色彩へと嗜好が移っていく(赤色から離れて橙色、黄色、緑色、青色、紫色へと推移)。
  • 子供たちは非常に強烈な色彩を好む。しかし、年輩の人でも、円熟していない人はそれ ら強烈な色彩を好むものである。
  • 人間は年をとると、自然に落着いた色彩あるいは灰色がかった色彩を好むようになる。そして色彩の明度や彩度は低くなる。
  • 人間は高度に教育されるほど、それだけ落着いた色彩を好むようになる。
  • 貧困は鮮明な色彩系統を好むようになる。

これらの事項も、祉会的意識の変動、流行性などによっても変化する。

 人々はある一定の色彩イメージが慣習とこういった確立した連想は食品の属性に基づくイメージから連想される色彩嗜好として表面色とか、空聞色として知覚されている色彩は、一般に意味をもった物体または成分を連想させるものである。コーヒー、紅茶、ミルクの色などである。このほか、各個人に確立しているイメージから連想される色彩嗜好がある。これは主として後光効果(または光背効果、ハロー効果)に起因する場合が多い。後光効果とある対象を評価する際に、それが持つ顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる現象のこと。場合によっては、菓子の包装や模様、色彩が気に要らないとその味覚まで低く評価することがある。何か1と2つの特微についての印象だけで大きく評価が変わってしまうことがあると筆者は述べている。

色彩の重量感について

 色彩は重量感へも影響を及ぼす。これも色彩の寒暖と同様に、色彩そのものが軽かったり、重かったりするのではない。ある色は軽い感じがするが、ある色は重い感じがするといった感じの問題である。色彩の明度に関係し、明るい色ほど軽く、暗い色ほど重く感じられる。前出のCheskinの実験では、産業心理で荷物の箱の色彩で重く感じられたり,軽く感じられたり能率上の間題をあげている。ある会社で、商品の運搬に「黒い」容器を使っていた。しかし、午後になると、この商品を運搬する従業員たちが体の変調と疲労を訴えていた。そこで、容器をライトグリーンに塗り替えると、苦情は無くなるどころか、作業能率もアップしたことを報告している。黒が重く感じられ、明るい緑は軽く感じられる色とされる。

色彩の演出について

 色彩についての問題や特徴をつかみ、総合的に演出すること、この技術によって一属の色彩効果をあげることができる。これには補色との組合せも重要な役割効果をもっている。

 この補色については、あまり強くすると、目立ちはするが、きつい印象を受ける場合もある。食品に赤を使用すると、食欲の増大するのも事実であるが、ベッタリとそこら中全部が赤でいいかというと、そうとはいえない。赤と違った色、とくに赤の補色である緑や青が目立つものである。目立つということは、何も表面積が広いということば かりでなく、その色が目立つように使われていることであり、その使い方を知っておくことが大切である。このようなことが日常の食生活の中に無意識に行われている場合も 随分ある。白いソウメンの中に赤いソウメンが2〜3本入っていると、実においしそうなソウメンで食欲をそそるものであるが、茶色のせんべいに黒い浅草のりが巻いてあるとおいしく見える。

食品の形態について

 食品にはすべて、何等かの形をしているわけであるが、加工品ともなるとそれがさらに 多くなり千差万別である。丸いもの、四角、三角といろいろ角張っているもの、細長いもの、平たいもの、形の大、小、粒状とある。

 これらいろいろな形をなしている食品を、食品群に整理して考えてみると、自然のままの 食品、いわゆる生鮮食品の形は丸みを帯びたもの、細長い形のもの、および複雑な形をした ものであり、一方加工された食品の形は、丸みを帯びたもの、四角いもの、三角なもの、細長いもの、形をなさないもので粉末状、液状など自然のままの食品を比べて、いろいろな形のものが多く存在している。このことは、食品の形が自然の形に対して、加工されることにより多くの変化をもたらされている。いろいろな食品の形態が、人口に与える印象については、色彩とは別の類型を考える必要があるようである。伝承的、慣習的な面からの影響力として、子供の時に印象づけられたものは、大人になっても、そのイメージが心の 深層にあって、それが影響していることが多くある。花や魚、動物など、子供のころに親しみ、身近にあった物の形に対して、個々の入々にノスタルジアにも似たものがあるといえる。  せんべい、ビスケット、兎や亀の生菓子、飴など多くの食品が子供のころのイメージを型取ったものがあるからである 。

 また、食品の形態が生活に結びつき、感情となることも少なくない。正月のおせち料理 の中には、めでたいいろいろな縁担ぎものばかりである。花形に切った人参、松の形に切った 大根、鶴の形のくわい、亀の形のしいたけ、むすんだ昆布などいろいろである。結婚式やお祝のパーティーなどで富士山や、ハトなどを型取ったデコレーションケーキがあるのも、日本人が持つめでたい時の生活感情が形の上で表現されている。このように伝承的に習慣づけられたものとして、これらの形は、人々に慣習的に伝承として素直に受け入れられている形というほかの要素は見当らない。端午の節句のちまきにしても、中国の伝承から目本に伝わったと言われ、その形も地方によって違ってくるが、一般に三角の形をした笹の 葉に包んだ食品であることを連想することができる。このような年中行事のいろいろな食品には、多かれ少なかれ伝承的に受け継がれた形があり、この形は固定化していると言える。人々はむしろ、この形どおり作られた食品を自然に受け入れていることが言える。このほか、何気なく接している食品の形態も習慣によって地方によって、さらに国々によって違ってくることがいえる。例えば、日本の場合、うなぎ料理はうなぎを串に刺し、しょう油で作ったタレをつけて焼くことが一般に知れている。ところが イタリアでは、うなぎを丸のまま金のザルに入れ、油で揚げている。うなぎは口を開け、ぐるぐる巻いた様相の悪い形の料理である。われわれにとっては、まずなじめない形である。また、ヨーロッパ中どこでも見かけるが、肉屋の店先で仔牛から大きな牛までナタを振って解体している。肉を買い求めに来た婦人は、大きな肉の部分を選びこの辺をと平然と注文している。

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